- 東京 → 千葉
- 漁師
- 北澤 直諒さん
- 鴨川市在住
- 家族4人暮らし(妻・子2人)
幼稚園のアルバムに書いた将来の夢は〝漁師〟
東京都国立市、多摩川の近くで育ちました。都内でも自然が多く残るこのエリアで、多摩川にはしょっちゅう釣りに行くような少年時代を送っていました。幼稚園のアルバムに「将来の夢は漁師」と書いたくらい、釣りが好きな少年でした。そう聞くと幼い頃の夢を叶えたと感じられるかもしれませんが、実際には年齢を重ねるにつれ、漁師で生計をたてていくことは大変だと感じ、いつしかその夢も忘れ去られていきました。
高校の進路を決める時期になり、将来について思い悩んでいた時、釣りが趣味であったことや、幼い頃の夢であった漁師になりたいという思いに改めて気づかされました。先生や親がその夢の実現のために一緒に考えてくれて、その結果、高校は大島にある水産系の高校に入学し、より現実的に漁師への道を模索することになりました。生まれ育った国立市を離れて寮生活を送り、短期、長期の航海実習など重ね、無線免許、船舶免許も在学中に取得することが出来ました。
まき網漁業=鴨川市漁業協同組合との出会い
高校卒業後は希望していた遠洋漁船へ就業したのですが、長期間、陸地に戻らない働き方等なじめない部分もあり、一旦は辞めて違う仕事に就きました。しかし、漁業への思いがまた蘇ってきて、改めて遠洋漁業に就こうと就職活動を始めました。その活動の最中、直ぐに鴨川の漁業者から連絡があり、話を聞かせてもらう機会に恵まれました。
鴨川の漁業者に声をかけてもらった漁法は、遠洋漁業ではなく、まき網漁業という漁法。遠洋漁業への復職へ向かっていた時期でしたが、これもご縁だと思い、まき網漁業に飛び込んでみようと考えました。気持ちがスッと変化していったのは、なによりも鴨川漁港に関係する皆さんのなんとも言えないおおらかな感じが、自分の波長とあったのではないかと感じています。
漁の楽しさを知ったらやめられない
鴨川市への移住は、仕事の流れでトントンと決まりました。初年度は、まき網漁業に加え、エビ網漁業も見せてもらうなど、漁場、網の仕掛け方、漁師としての心構えを教えてもらうことが出来ました。
専門的な話になるのですが、翌年には要件が整ったと認められて、鴨川市漁協の正組合員となることが出来ました。正組合員になることで、漁場に関する情報が入りやすく、業務上必要な事務手続きなども含めた相談ごと等がしやすいというメリットがあります。他の漁港ではこの組合員になるための要件が厳しく、なかなかなれない人もいるそうですが、鴨川漁港には、自分のような東京出身者もいれば、秋田、京都、埼玉等、他県から移住をしてきて漁師になっている人が多くいます。
移住者同士のネットワークがなくても、各々が仕事や趣味など、それぞれの価値観の中でつながりを持てています。それは、この鴨川の漁業に関わる皆さんの外部の人を受け入れる姿勢に、なんとも言えないおおらかさがあり、受け入れ体制の良さから来ているのではないかと感じています。
漁業の楽しさ、面白さを伝えたい
国立市に住んでいた時からお付き合いをしていたが今の奥さんです。鴨川市に転居し、気が付けば15年近く時間がながれ、今では二人の女の子の父親になりました。家庭を持つことで、漁業に対する想いも徐々に変わってきました。より多くの方に、漁業の楽しさや面白さを伝えていくことは出来ないかと考えることが多くなってきました。
例えば、誰でも気軽にチャレンジできる、かけ網漁の体験船を出したり、宿泊客への観光アクティビティのひとつとして、奥さんや子供が休んでいる早朝の時間を利用してお父さんに漁を体験してもらったり出来ないかなどです。
これらを実現するには多くの乗り越えるべき壁や課題がありますが、漁の面白さを伝えていきたいという気持ちは高まる一方です。継続的に漁業が発展していくために、今、自分に何が出来るのか、自分の次のチャレンジはそこにあると思っています。